第1章のまとめ  「I am」

さて、本書では繰り返し、「I AM」(われ神なり、神我)という概念が登場します。

本書第一章でも、上空をずっと旋回している鳩について、エミール大師が語った教えとして早速出てきます。言葉としてはやさしいですが、難しい概念なので、頭で考えるというよりは、「そんなものなのかな」と最初は聞き流す感じで読み流して下さい。

「神我」という言葉についてですが、私達日本人には、「神の分け御霊」という言い方をした方がしっくりくるかもしれません。
日本人は、神様は外に居て、願ったり祈ったりする対象として捉え、儀式をすることによって、自分たちの外側の存在である神様から願いを叶えてもらったり力をもらったりするものだと思いがちです。
ですが、神様は自分の中にいるのです。全員もれなく。もともと皆が神様だと思っても構わないと思うぐらいです。

我々は、自分で自分を癒したり願いを叶えたりする無限のパワーを持っている存在です。

そのような意味で、神我を「我神なり」と言います。

「自分の本来の姿」「実相」「内在神」などとも言われますが、言い方はどうであれ、私達の中に神が居ると認識する事が大事です。

自分のことを神などと言うと、傲慢で不遜な考え方だと思われてしまいますが、そうでは無くて、逆に自分の事を「外の神様にすがらないといけないぐらい弱くて力の無い存在だ」と思う事の方が、むしろ不遜な考え方なのです。
この世に特別な人など居らず、この世に生まれてきた全ての生きとし生けるものが特別なのです。
どうでもいい魂なんてありません。
私達がしなければならないのは、神社で丁寧におじぎをして畏敬の念に浸るように、私達が住んでいる街や、自分たちに対して畏れ敬う事なのです。

昔の日本人が素晴らしいと思うのは、「八百万の神(やおよろずのかみ)」と言って、道端の石ころにさえ神が宿っていると感じていたことです。それは真実で、見ず知らずの他人だろうが、その辺の野良犬だろうが、全て神様の分け御霊であって、大きな神社で恭しく祀られている神様と何ら変わりはないのです。

誰に対しても、神聖な神社に対する様にふるまうべきだ、という事をいつも思い出し、心がけることが大切です。