第二章 クリスマスの意味

私はクリスチャンではないですが、ヨーロッパの絵画鑑賞が小さい頃から好きだったので、絵画をより深く楽しむためにキリスト教についていろいろ学んだり考えたりしてきました。
奇跡を起こすことが出来たイエスキリストがなぜわざわざ磔になることを選んだのか、と多くの画家が描く磔刑図を眺めながらずっと考えてきました。
どの書物を読んでもキリストが私達の罪を背負って十字架にかかったと書かれていますが、その解釈に私は納得出来ずに来ました。

ある日、イエスが伝えている教えや行いを含めてイエスの行動が何であったのか突然納得しました。
それは、イエスというのは特別な存在ではなくて私達全てがイエスみたいになれるのだということを自分の行動で示したのだという事でした。私にはそう理解出来たのです。
すごく腑に落ちて、「犠牲ということではなく皆にできるのだということを示した」という視点から聖書などを解釈していくと、すごく理解できるようになったのです。

ただ、私のような解釈をしている本にはずっと出会うことが出来ず、ようやく出会うことが出来たのが本書の第二章でした。
これを読んでやっと自分の解釈は間違っていなかったということを確信できるようになりました。

第二章で話されている内容というのは、イエスが誕生したと言われているクリスマスというのは私達の中にもイエスキリストがいるのだということを思い出す日である、ということです。
すなわち、神というのは決してどこか遠く離れた所に居て時には怒ったりする厳しい存在ではなくて、私達の中にもいることを自覚すべきであると述べられています。

人間は自分で制約を作ってしまっているけれども、本来は自由で何の制約も無い、ということをクリスマスを通して思い出す日である、とも書かれています。

第二章の内容は、私は深く納得できるし、これまでのどの本よりもイエスキリストに関して本章は腑に落ちるものでした。
クリスマスはイエスキリストの誕生というおめでたい日であるけれども、本書を読んで改めて、「自分達にはなんの制約も無いのだ」と自覚して開放される日にしたいと思いました。

 

追記:
開放されたので、ケーキも体重やお肌の荒れを気にせず沢山食べたいです♪